折り紙の歴史と現在の活動
「折り紙会館」の歴史は、1858年(安政5年)に初代 幸助が手そめがけた染め紙業に始まります。幸助は、上野寛永寺の仕事などを行う「経師」という、書画の軸、屏風、襖を表装する表具師でした。後に幸助は和紙全般の加工技術を習得し、「染め紙屋」として、現東京湯島の450坪の土地に、3階建ての工場を作ります。
明治に入ると、西洋の文化がどんどん押し寄せます。日本の学校教育でも、明治の教育改革にともない、初代文部大臣森有礼が、ドイツの教育学者フリードリッヒ・フレーベルの教育理念をもとに日本の幼児教育に「畳紙(たとうがみ)」を取り入れます。そのことがきっかけとなり、文部省学用品課からの要請で、世界で初めての折り紙の製造販売を開始することになりました。1900年代はじめ、落語家の故・八代目桂文楽も、16歳の時に初代幸助の使用人として工場で働いています。その様子は彼の自叙伝「あばらかべっそん」にもうかがえます。
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おりがみ会館で学ぶフランスからの留学生。最近では外国でも折り紙は良く知られるところとなり、関心を持つ人々を受け入れています。
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おりがみ会館の館長のおりがみパーフォーマンスを見たことがあります。私たち2~30人の顔を替る替る見回しながら、その手は絶え間なく動かしてらしてトークが終わるころには彼の手の中に見事作品が出来上がっていて、我々凡人には至難の業と脱帽したことを覚えております。
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